» 平成の映画のブログ記事

ホタル

| 平成の映画 |

2001年(平成13年)
○ イチローマリナーズ入団・大活躍
○ 狂牛病発生
○ 米同時多発テロ

監督・脚本/降旗康男
脚本/竹山洋
撮影/木村大作
音楽/国吉良-
出演/古同倉健、田中裕子、井川比佐志、奈良岡朋子、小澤征悦、小林稔侍、中井貴-、夏八木勲

2001年、ホタル製作委員会、114分

敗戦直前の特攻隊生き残りを演じるのが高倉健。
生き残つた仲間の井川比佐志が昭和天皇の死に殉じるとの遺書を残して自死する。
センチメンタルな復古調かと思いきや想像しない方向に展開する。

高倉の老妻田中格子にはかって特攻隊員として米艦に突撃して戦死していた恋人がいた。
彼は朝鮮人だが、大日本帝国の特攻隊員として死んでいつた。朝鮮人青年の心情が‥想シーンではっきりしてくる。
彼は日本のために死ぬことには納得できず、朝鮮にいる家族と日本人の恋人のために死ぬとみずからに言い聞かせて米艦に突撃していった。
祖国の歌「アリラン」を歌い「朝鮮万歳」を叫んで自爆した。一回限りの人生をみずからを虐げ
理不尽な支配を強いた日本の軍国植民地主義の特攻機に乗って死ななければならなかった異国の若者の無念が見る者の胸に迫る。
高倉・田中夫妻が現代の韓国に渡り、遺族}に彼の最期を伝え朝鮮人としての誇りをもつて死んだと報告する
ラストが印象に残る。『鉄道員』(ぽっぽや)同様、木村大作のカメラはすばらしい映像を見せてくれ、
桜島や開聞岳や鹿児島湾を、また雪の八甲田山をみごとに写し撮つている。
過去回想は白黒撮影で臨みながらホタルの光には部分カラーを施して技法的実験もしている。
だが、韓国で遺族と対面するラストシーンはぶっきらぼうな無技巧のカメラ操作を貫く。
朝鮮語を日本語字幕にせず、通訳の言葉で意味がやつとわかる。翻訳されるまでの「間」の取り方が絶妙で、
日本の戦争責任に思いを致さざるをえない。演出の計算が行き届るというべきだろう。

特攻隊員たちを息子のように可愛がり戦後も彼らの慰霊に生涯を費やした老女(奈良岡)が言う。
「特攻隊員を忘れてはならない。若者から夢と楽しみばかりか命さえも奪いとった戦争について、
後に続く若い人たちに語り継いでほしい」。全体のトーンは実に静かであるが、戦争が現代でも人の心をますます深く傷つけているのを教えてくれる。
ここにきて、井川比佐志が昭和に殉じたことの反語的音意味がやつとわかってくる。
同じ降旗=高倉=木村のトリオで撮った『鉄道員』はノスタルジーだつた。
対するに『ホタル』もいっけん哀切の調子に満ちている。
だが降旗演出は『鉄道員』をはるかここえる硬質の主張を画面の奧に秘めているのを見落としてはならない。
静かで「平和な」現代日本は、日常の裏側に過去の「影」を背負つている。
日本の侵略や従軍看護婦の事実を隠蔽するどころか
事実無根のように考えさせるような政治的な力がいかに欺瞞に満ちるかを作者たちは暴こうとしている。

個人の生き方だけが課題となる社会や国家は脆弱である。それは逆の、国家や全体のために個の願や望みを圧殺する社会の危うさと同質であろう。
老若男女がバランスよく共同できるとともに個と社会が相互作用できてこそ、シニアは安心して老いることができるはずだ。
若い世代の政治離れ社会的無関心が心配されるが、それは大人の責任であり、戦争を知るシニアは非戦反戦を語り続けねばならないのだと痛感する。

1993年(平成5年)、中高年雇用福祉事業団=オプ卜コミュ二ケーシヨン=スペース・ムー=テレビ東京、100分

○ 皇太子が小和田雅子と結婚
○ 細川連立内閣発足
○ 北海道南西沖地震、奥尻島などで被害

監督・脚本/市川準
原作/山崎章郎
撮影/小林達比古
音楽/板倉文
出演/岸部一徳、塩野谷正幸、七尾伶子、山内明

ぶっきらぼうな据えっぱなしのカメラで病室のベッドを横から写し続け、患者が寝ている姿をとらえるだけ。
ときどき医師や看護師や見舞客がやってきてもカメラは一切動かない。
数メートル離れたところから撮影しているから人物の表情もわからない。結局、医師役の岸部-徳以下の登場
人物は、ほとんど見分けがつかない感じで終わつてしまう。稀にみる実験的で独特の映画技法を持ち込んでいる。
脚本・演出の市川準は、「病院で死ぬ」人たちに感情移入をしないようにしなければ、重いテーマを消化できないと考えたのだろう。
お涙頂戴のセンチメンタルなドラマを避ける意図はこのあたりでよくわかるが、突き放したカメラがいつそう病気と闘う人たちの心象の真実を伝えるだろうとの計算もむろんある。
何人かの主要な患者がいる。一人目は、大腸癌をわずらつた老夫だが、
老妻は肺癌のために違う病院で手術を受けている。老夫は、妻と自分の最期が近いことを知って妻に会いたいと願い、それが実現する。夫は言う。「お前と出会えたこの人生に感謝するよ」。
カメラが遠くから見つめているから夫婦の表情がうかがえないことが、なおさら老夫婦の気持ちを観客に伝えることになる。アップで悲しみを大写しすることが心理描写に最適であるとは限らなぃのである。
二人目は、胃潰瘍とだけ知らされて入院した老女。二回の手術をしても治らないばかりか癌はもう手の施しようがない。本当のことを教えてほしいと懇願するが医師は最後の最後まで癌とは言わない。
1993年の映画だが、日本では非告知から告知主義ヘの移行時期あたりだったのか。良心的医師は、結局は口当たりのいい言葉でウソをつかねばならない。だが、「がんばりましよう。絶望ではありません」と百回繰り返しても患者の心は癒されない。「私はバチがあたつたのか」と老女の叫ぶ姿が痛ましい。
三人目の男性が中心となる。40代の働き盛りで手術をしたが癌部位を摘出できなかつた。患者は丁重な挨拶をして退院していくがすぐさまの再入院。末期だからたなす術がない。癌だろうと自問しつつ絶望と自棄に陥つていく患者。
医師は「冷静になれ」と繰り返すがもう信じない。やっと医師が告知する。「希望を捨てないで共に戦いましよう」。患者は、病院ではなく家で死にたいと訴える。医師のモノローグが聞こえてくる。
病院は人の人生にはじめから必要なものとして位置づけられた場所ではない。仕方なく入院してきたのだから、生活の場としての自宅で家族に見とられながら死ぬ権利はあるはずだ云々。患者はひととき家に戻り、子供達と寝食をともにし、「もうひとふんばりするために」また病院に戻ってくる。そして最期を迎える。子供にあてた最後の手紙の朗読が流れて映画は終わる。
「死を乗り越ぇることができるのは勇気でも諦めでもない。愛なのだ。愛としか言い表せないものが、この世には確かにある。そんな広くて豊かな心のある世界に、しばらでも生きているニヒが出来たニとを幸せだと思うよ。お父さんは、心の底からお前達を愛している」。
これで得心したわけではないが、ターミナルケアがどうあるべきかの問題提起にはなっていよう。

1994年(平成6年)読亮テレビ放送、113分
○ビートたけしが酒酔いバイク事故で重傷
○「同情するならカネをくれ」(テレビドラマ「家なき子」)

監督/相米慎
脚本/田中陽造
撮影/篠田昇
音楽/セルジオ‐アサド
出演/三國連太郎、淡島千景、戸田菜穂、坂田直樹、王泰貴、牧野圭思

老人は次第に子供に帰ると言われる。
だとすると子供が大人になつていくどこかの時点で、子供と大人は交叉することになる。
下降と上昇という言葉遣いは不適切かもしれないが、交叉し関係が逆転するが、同じレベルで交わる瞬間に、ある種の連帯が生じると言つてよいのではないか。
あるい同じ位置に立つ者同士の対等の人間関係の成立とも言えよう。
その時に、旧い世代から新しい世代へ「文化の伝達・継承」とでも呼ぶことがなされるのだろう。
それを個々に把握せずにトータルに
抽象的にとらえれば歴史の綿々とした継続性が約束されることになる。
この映画は、神戸に住む三人の小学六年生が一人幕らしの老人公(三國)と知り合い、
仲良しになりながら上記の伝達・継承がなされていく。しかし中心となるのは「死」の問題である。
はじめの動機は、老人の死ぬのを見たいし確かめたいという子供子供した興味であったが、
老人の庭の草刈りをし、障子の張り替えを教えてもらいつつ手伝いをし、屋根にペンキを塗り、
大掃除をいっしょにする人間関係が成立していく。いつしか三人にとって老人は「おじいちゃん」としての存在になつていた。
身寄りのないと人でありたが、三人の問いかけに、かって妻がいたが戦争でフィリピンに従軍して以来、
復員してからも妻の生存確認をしないままになっているとの答えが返ってくる。どうして妻を捜さなかったかの問いに、戦場で身重の民間女性を殺してしまい罪の意識から家族を持ってはいけないと判断し、一人だけで生涯
を送る決意をしたからだと答える。三人は、「おじいちゃんの奥さんを捜そう」と考え、老人ホームで奥さん(淡島)を探し出す。
だが二人が再会する前に「おじいちゃん」は死ぬ。
はじめは薄っぺらい死への興味だけであったが、現実の死を見て、三人の子供はその厳粛さに泣くのだった。

老人の遺体が焼かれる直前、ホームからかけつけた老妻が、老人の遺体を見て、「おかえりなさい」と手を合わせる。いま「おじいちゃん」は、やっと戦争から妻の元に帰還してきたのである。
子供が「死」をぼんやり意識するのは何歳くらいなのか。「死ぬのが怖い」と怯えて震え泣き、親にも恐怖を言うことができずにもんもんと眠れぬ夜を送るのはいくつくらいであろう。この映画では興味と詮索好きから、
現実の老人の死を見届けることで成長していく子供達をみつめるが、同時に戦争と戦争責任の問題を、
子供達に継承させるという意図も持っている。それは自然の摂理としての死と、戦争という人為による不条理な
死とを若い世代に区別して知らしめるという映画の作り手たちの真摯な祈りといつてもよかろう。
監督の相米慎二は五三歳で没したが、『セーラー服と機関銃』『魚影の群れ』『あ、春』などの秀作を発表し、
児童文学でも他に『お引越し』がある。カメラの長まわしによる徹底して人間を凝視する映画技法は、
独特の味をもつことで定評があったか、この映画でも極端になるこは排しつつ、撮影技法の特徴も目立つものにな
っている。厳粛な「死」に関連するラストいくつかのシーンには涙が流れるのを止めることができない。

シニアのための映画案内
老いてこそわかる映画がある 吉村英夫 著(大月書店) より