» 昭和の映画のブログ記事

1949年(昭和24年)

○ 下山事件
○ 三鷹事件
○ 松川事件

監督/ジヨン・フオード
撮影/ウインドン・ホック
音楽/リチヤード・へイゲマンン、ビク夕-・マクラグレン

時代劇ならチヤンチヤン・バラバラ、西部劇ならパンパンドスンの対決があることが必須条件と信じてきた。
だから撃ち合いの少ないフオードの「高級」西部劇よりB級活劇のほうが楽しかったのが私の少年時代だった。

だが今フォードを見ると、これこそ西部劇、これがホンモノの映画だと手を打ちたくなる。
『荒野の決闘』にしても、西部の街のサルーンを中心に保安官や人々の日常の生活感がにじみ出て、そこから人々の息づかいが聞こえてきそうで、ほとんど郷愁をさえ感じる。

『黄色ぃリボン』のあらすじには、
「1976年。西部の白人達は、一斉蜂起したインディアン種族のために苦境に立たせられた。スタアク砦のブリトルス大尉は老齢のためあと六日で退役の身であったが、最後の奉公としてシャイァン族の掃討作戦を指揮することになつた」とある。

ところが「掃討作戦」そのものはこの映画では描かれない。
『黄色いリボン」をなん度目かに観て思うのは、騎兵隊の砦の日常生活はあるが戦いはなく、したがって先住民との戦闘場面のない西部劇であり、それだからこそ(先住民への偏見も出てこないし)、安心して見ていられるすばらしい映画だということである。

大尉ジョン・ウェインと老軍曹ビクター・マクラグレンのコメディ・リリーフを見ていると、人と人とのつながりの温かさと懐かしさに心が和んで気分が解放され笑いながらも泣きそうになる。
あるいはモニュメントバレーの岩山あたりを騎兵隊が疾走するのを見ただけで胸が熱くなってくる。
こういう映画鑑賞があってもいいし、見る者をしてそんな情感を呼び覚ます力をもつのがフォード映画なのである。

「黄色いリボン」は独り身である老大尉の最後のご奉公とその心象を丁寧に追いかけていて、まるでサラリーマン生活の最後の1週間を人情劇に仕立てたものに近い。
フオード映画の場合、主人公をとりまくのは軍隊の仲間である。騎兵隊は仕事の仲間であると同時に家族でもある。
だから大尉が職業と家族と同時に別れねばならないのは決定的な寂寥をもたらす。
フオードはそこに醸し出される情緒を描いて余すところがなぃ。
フォード西部劇は男の世界を描くものであり、男たちのいささか粗っぽい友情が、人間味豊かにまたユーモラスに讃えられるところが魅力である。
「謝罪はするな。弱さの象徴だからとの台詞が繰り返されるが、それはとりもなおさず男性社会の掟であり、男の人生美学である。

だから女優陣はあまり出る幕がないが、この映画では二人の若い将校がジョーン・ドルー扮する隊長の姪に恋のさや当てをする姿を愛らしく描いていて、これまた男の側からの描写になっているのを気にしなければ、やはり心が和む。

ラストで「格好は汚くて、歴史の1ページにも登場しない兵隊が戦った土地がアメリカ合衆国になったのである」とのナレーンヨンが入つて、フオード流の愛国心が表明されるが、このような素朴なアメリカ礼賛はもう現在の好戦的なアメリカ映画からは見えてこない。
アメリカの現実がそんな素朴さを失ってしまっているからであろう。

車売却査定

1962年(昭和37)、日活、モノクロ 100分
○ キューバ危機 
○ 南極から樺太犬タロー帰国

監督・脚本 浦山桐雄
原作 早船ちよ
主演 吉永小百合、浜田光夫、東野英治郎、望月優子

中学3年の主人公ジュン(吉永)が初潮を迎えるシーンがあるが、
揺れ動きつつ成長する主人公の姿をみずみずしく描いた青春映画の秀作。
ラスト、ジユンは貧しさのために有名進学校を諦めて夜間定時制へ進む決意をする。
だが「諦め」ではなくもっと主体的で積極的な生きる方向を見つけたのだ。
彼女は宣言するかのように言う。
「一人が五歩前進するよりも、10人が1歩ずつ進む方がいい」。

吉永は女優としての決定的イメージをこの作品で創りあげたが、
それはアウト口ーをもっぱらとした日活青春映画のもう1つのイメージを清別に提示したという意味ももつ。
この映画で多くの小百合フアン、いわゆるサユリストを生み出した。

・・ジユンと弟の親友である在日のヨシ工とサンキチか「新国家建設中の北朝鮮」へ帰国するのを送り出すところが全編の要になり、
それを日朝連帯の確認として作者(浦山、今村、早船)は擁護しており、
その是非については40年後のいま歴史的に問われているが、
祖国で国づくりに希望を託す子供像は色あせずに普遍的に描ききられている。
歴史的事実の評価や総括がどうであれ、名画は風雪に耐えているのである。

生きる

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1952年(昭和27年) 東映映画 モノクロ
○君の名は放送開始
○「24の瞳」「アンネの日記」刊
○羽田空港開港

監督・脚本 黒沢明
出演 志村喬 小田切みき 藤原釜足 日守新一 千秋実 金子信雄 渡辺篤

癌告知がまだタブーだった1952年。
「軽い胃潰瘍で手術は不要。消化のよいものなら何を食べても」と医者から言われたら癌に間違いなく、「死刑宣告」に等しい、と主人公志村喬は病院待合室で未知のおとこ(渡辺)から問わず語りに教えられるシーンは今濃密なリアリティをもつ。
告知が当然となった現在でも癌はなお人間の尊厳に対する配慮がなされても「死」に直面する不安と絶望感から逃れることはできない。
待合室シーンは、映像的にも計算が行き届いている。
画面全面で志村、渡辺が癌問答をする後方では、癌患者に擬せられた男の頼りなげな姿や看護師の立ち働く姿が映し出されており、
奥深い画面構図のなかで主人公の癌への不安が吹き出してくる様子が鮮やかに描ききられている。